夏に比べて、ずいぶんと日が短くなってしまった。
 お祭り騒ぎの余韻が残る放課後。夕方のひかりのなかで、おれは昇降口の階段に座ってぼーっとしていた。

 類は現れなかった。

「うあー……」

 おれは意味不明な声をあげて、ごろんと後ろ向きに倒れた。赤紫っぽい色をした空に雲が浮かんで、流れている。しばらくそれをぼーっと眺めていた。
 どれくらい時間が経ったのだろう。
 おれは靴音が近づいてくるのに気づいて、体を起こした。ずいぶん焦っている感じの音だが、何だろうと思って見たら。

 類が立っていた。

 走ってきたらしく呼吸が荒い。両膝に手をついて前屈みになっているせいで、表情は見えない。

「保、」

 何か言いかけた、類の言葉を遮って。

「よかったあ……!」

 おれは思わず叫んで、もう一度後ろにひっくり返った。

「はあ?だってお前、俺は」

 間に合わなかったのに、と続けるつもりだったのだろうが。

「でも来てくれたじゃん」

 おれは寝っ転がったまま、類を見上げてそう言った。

「な?」

 だめ押しすると類は苦笑いして、倒れるみたいにおれの隣に座り込んだ。

「梢ちゃん、どうなの?」
「あんまり良くない。ここしばらく、何が起きるかわかんなくて傍を離れられなかった。今ちょっと安定したから、病院抜けてきたけど」

 類は呼吸を整えながら、電波状況の悪いラジオみたいにしゃべった。

「そっか」
「ごめんな」
「おれが類といっしょにやりたくて、待ってたんだよ」
「……お前格好つけすぎ」
「あっばれた?」
「ばればれ」

 類とおれは声をあげて笑った。類はひとしきり笑うと、さて、と言って立ち上がった。

「お前が嫌じゃないなら」

 類は寝っ転がってるおれに向かって手を伸ばして、言った。

「いっしょにやろうぜ」



 誰もいない部室からキーボードと電源コードを持ち出して、おれたちは中庭にやってきた。校舎と校舎の間にあるので、ここなら校外に音が漏れにくいだろうという判断だ。近くの教室から電気を拝借。
 類が音量調節がてら、ぽろんぽろんと鍵盤をつま弾く。表情はあまり変わらないが、嬉しそうなのが雰囲気でわかる。
 そういえば昔おれは、楽器なんて誰が演奏しても同じ音がするんだろうと思っていた。でも類が演奏すると、全部「類の音」になるから不思議だ。くにゃんと曲がったような、波打つような不思議な音。耳に残る。
 おれもギターケースからココア色のアコースティックギターを取り出して音を確かめる。
 おれの音もちゃんと「内藤保の音」になってんのかな、なんて思う。
 類とおれは向かい合って立った。

「こういう立ち位置って珍しいな」
「いつもは横並びだもんな」

 そういうどうでもいいことを言い合うのは、ちょっと緊張しているからか。
 マイクもスピーカーもないし、スポットライトもないし、観客もいないけど。
 これがおれたちのステージ。

「じゃ、いきますか」
「おうっ」

 おれの返事に類が笑って、最初の一音を奏でた。



 最初のうちこそ自分の指使いと歌詞に気をとられていたが、しだいにそんなのはどうでもよくなった。
 類の奏でる音の中で、おれの音と声が響いているのが楽しくて。気持ちよくて。
 目の前の類がすごく楽しそうにキーボードを弾いているのを見ていると、それだけで嬉しい。
 ああ楽しいな、と感じながら一曲目の最後の音を鳴らしたら、驚くようなことが起きた。
 頭上から拍手が降ってきた。
 見上げると、教室の窓がいくつか開いていてこっちを見下ろしている人影が見えた。後片づけやら打ち上げやらで、学校に残っていたのだろう。知り合いの顔もいくつかある。
 おれがぽかーんとして見上げていると、指笛の音やら、いいぞもっとやれーなんて声も降ってくる。
 おれは不覚にも、なんだか泣きそうになってしまった。
 類を見ると、こいつもどこか照れくさそうに、でも嬉しそうに笑っていた。

「続きやろうか?」
「もちろん!」

 とおれは笑って頷いて、ギターを抱え直したのだった。



 結局その日、おれたちは文化祭のために用意した三曲を中庭で演奏して、ちゃんと演奏が終わるまで待っていてくれた類の担任の古典教師(軽音同好会の顧問でもある)にきっちり説教された。
 それから打ち上げと称してハンバーガーショップでだらだら話して家に帰った。
 別れ際に、

「梢ちゃんのお見舞いに行ってもいいかな?」

 と聞いたら、類は笑って、

「いつでも来てやって。喜ぶよ」

 と答えた。



 梢ちゃんが亡くなったのはそれから2日後の早朝のことだ。



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