青い顔をして意味もなくへらへら笑っている遙と、泣き出しそうなのを必死に我慢している顔をした文也が連れ立って戻ってきたのを見て、他の3人は「さてはなにかあったな」と一瞬で察した。
その日の練習が終わった後、
「俺ちょっと本屋寄って帰るわ」
遙はそう言って一同に背を向けた。声をかける間もなくその背中が遠ざかっていく。
文也はその背中をじっと見ていた。
「……気になる?」
広隆が問いかけると、文也はこくんと頷いた。広隆は歩道にしゃがみこんで文也と目線を合わせ、
「じゃあ、追いかけておいで」
やわらかい声でそう促した。
「大丈夫だから」
文也がもう一度頷く。広隆は微笑んで、その背中をぽんと押してやった。文也が遠ざかる背中を追って走り出す。類も楪も、その背中を見送った。
「さあて」
広隆が立ち上がりながら言う。
「ゆずちゃん、この後暇?」
「あっはい!暇です!」
「じゃあいっしょにファミレス行かない?甘いものでも食べようよ」
「はい!」
楪のやや緊張した、元気のいい返事に広隆は笑った。
「じゃあ1時間くらいしたらメール入れるか」
類が腕時計にちらりと目をやって言う。行こうか、という言葉の代わりに先に立って歩き出した。広隆と楪も、並んでその後を追う。
「世話がやけるな」
「まったく」
「やれやれですね」
三人が口々に呟いた言葉は、しかしどこか温かい響きを帯びていた。
「はるか……っ!」
文也は全力で走って遙に追いつき、その上着の裾をしっかりと掴んだ。
「お……ぼーず。どないしたん?」
遙はちょっと驚いて、文也に声をかける。
普段なら後ろから追いかけてくる足音に気づいて立ち止まったはずなのに、ぼーっとしていたせいで気がつかなかったのだ。
遙はぜえはあと荒い息を吐きながら、必死に目で何かを訴えてくる文也にただならぬものを感じた。
「……どっかで落ち着いて話そか」
文也が頷くと、遙は当然のように右手を差し出し、文也は少しだけ躊躇ってからその手を取った。
2人がやってきたのは近所の公園だった。
「さっきはごめんなさい」
人気のない公園のブランコに座って、カイロ代わりに買ってもらったココアで両手を温めながら、文也はもう一度言った。
「ええよ。怒ってへんて、ほんとに」
遙も缶コーヒーを両手の間で転がしながら応える。
「うん。でも……」
その言葉を疑っているわけではない。
「気になる?」
遙が文也の顔をのぞき込んでいたずらっぽく言うと、文也はこくんと頷いた。
「せやなあ」
遙は少し考える素振りをみせた。どこまでどう言おうかを考えたのである。
「ぼーずと同じで、俺のオトンとオカンもおらんのやけど」
文也の瞳が驚いたように丸くなるのを眺めながら、遙はゆっくりと言葉を紡いだ。一番刺激が少なそうな言葉を選んで。
「俺が中学生の時に、死んだんや。飛び降りて」
しかも自分の目の前で、という言葉を付け加えるのはやめた。
そのせいで高い所に行くと発作的に飛び降りたくなって気分が悪くなるという話も、しなくてもいい。
先ほど目を回して倒れなかっただけずいぶんと進歩したなと思っている程なのだ。
「それ以来どーも高いとこ苦手になってしもうて……って、文也!」
文也が目の前で泣き出したのを見て、遙は慌てた声をあげた。
座っていたブランコから飛び降りて、ぼろぼろと涙を流している文也の前に片膝を着き、心配そうに顔をのぞき込む。
「ごめんごめん、キツイ話やったなあ」
「ちがっ……」
ふるふると文也は首を横に振った。
「ごめんなさい……ひどいことして」
何よりも残酷な気持ちで、傷つけてやろうと思った。
そんなことがあったなんて、思いもしなかった。
ごめんなさいと繰り返しながら声をあげて泣き始めた文也を、ぎゅっと抱きしめてやりながら遙は言った。
「お前はええ子やなあ」
散々泣いた文也は、まだ目と鼻がぐずついているものの、温かいココアを飲んで少し落ち着きを取り戻していた。
「ねえ、はるか」
「ん?」
遙が少し首を傾げて、文也の顔をのぞき込んでくる。その眼差しはやさしい。
こいつ、ぜんぜん嫌なやつじゃないじゃん。と文也は思い、過去の自分を反省した。
本当はもうひとつ聞いてみたいことがあった。
今が絶好のチャンスだ。
文也は大きく息を吸い込み、そのわりには蚊のなくような小さい声で問いかけた。
「ひろたかはおれに、同情したのかな?」
遙は一瞬驚いて目を丸くしたが、少し考えてこう返した。
「同情されんのは嫌か?」
遙の問いに文也はゆっくりと首を横に振る。
かわいそうだと思って、いっしょにいてくれるだけなのかもしれない。
それでもいい。
いっしょにいてくれるだけで、仲間に入れてくれただけで、とっても嬉しかったから。
でも。
「もしそれだけだったら……かなしい」
そう言って文也の瞳が大きく揺れるのを、遙はじっと見ていた。
「あんな、俺も早うに両親亡くしたから、親戚たらい回しで育ったしなあ」
遙はそんなことを言いながら、ブランコを漕ぎ始めた。
「広隆は実はいいとこのお坊ちゃんなんやけど、お父さんもお母さんもあいつをぜんぜんかまってやらんで、ずいぶんさみしい思いして育った。類んとこはお父さん早う亡くして、妹さん体弱かったから、お母さんと2人で色々苦労したんやって」
重さに耐えかねてか、キイキイと高い音が鳴る。
「んで、ゆずんとこもお母さんと2人暮らしで、そのお母さんとも最近まですれ違ってて、大変やったんや」
よっ、というかけ声と共に遙はぴょんとブランコから飛び降りて、文也の方に向き直った。
「けっこうすごい身の上やろ?」
いたずらっぽい口調で続ける。
「う、うん……」
「だからお前を放っておけんかったっていうのはあるかもしれんけど。でもな」
遙はブランコに乗った文也の目の前にしゃがみ込み、文也の目をまっすぐに見て言った。
「広隆がお前を誘ったんは、お前を好きやからやろ」
文也の瞳の中に、真剣な顔をした遙が映り込む。
「お前に声をかけたんは、お前と仲良うなりたいと思ったからやろ」
「ほんとに?」
おそるおそる、細い声で放たれた言葉に、遙はにっこり笑って大きく頷いた。
「大丈夫 !心配すんな」
遙の言葉に文也の顔が崩れ、また泣き出しそうになるのを見て再び遙は慌てに慌てた。
「じゃあ、園まで送ろか」
「うん」
遙が伸ばした手を、文也は今度は迷いなく掴んだ。
そこにちょうど、携帯電話のバイブ音が響いた。
「あーちょっと待ってな……類からや」
片手は文也とつないだまま、遙は上着のポケットから携帯電話を取り出す。メールが一件。中身を確認し、遙は思わず吹き出した。
「あいつら……」
『文也をちゃんと園まで送り届けるように。駅前のファミレスにて待つ。一同』
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