クリスマスコンサート当日。
見慣れた病院のロビーにドラムやキーボードや機材が運び込まれ、簡易ステージが出来上がっていくのを、文也はわくわくしながら眺めていた。
コンサートの後は、皆でクリスマスパーティだ。しかも広隆が文也の外泊許可を取ってくれた。これで浮かれない方がおかしい。
文也がステージの中央に立ってマイクチェックをしている広隆を見ていると、広隆は何かに気づいてぱっと嬉しそうな顔になり、マイクを放り出して走って行った。
文也は不思議そうな顔でその背中を視線で追いかけ――すぐに納得した。
「あ、シオちゃんや」
遙がドラムセットを組む手を止めて、おーいと呼びかける。
それに応えるように広隆が満面の笑顔で、誰か女の人の手を引いて戻ってきた。
パジャマの上にグレイのロングカーディガンを羽織った、ほっそりとした女性である。栗色の髪を長く伸ばし、切れ長の目をした、クールな印象のある美人だ。
「この格好だから嫌だって言ったのに……」
と困った顔でぶつぶつ言っているのは、幡多栞。広隆最愛の奥さまである。
「まあまあ」
広隆がにこにこ顔で栞をなだめ、遙が話しかける。
「シオちゃん、久しぶりやなあ。元気?」
「遙くんお久しぶり。おかげさまでぼちぼちね」
楪も栞に挨拶し、類は機材のセッティングをしながらひらひらと手を振る。それから栞は少し離れたところでもじもじしている文也に気づき、自分から近づいていった。
「文也くん、久しぶり。今日はよろしくね」
栞は文也と目線を合わせ、微笑んだ。それだけで冷たい印象が少し和らぐ。
栞と文也は何度か顔を合わせていたが、人見知り気味な文也の性格が災いして、直接話をしたことはあまりなかった。
「よ、よろしくっ」
「おー、文也も男やなー。美人の前は緊張するか」
「はるかっ!?」
「仲良くなったよねー、二人とも……」
今にもケンカを始めそうな文也と遙を眺めながら、楪は呆れた声で呟いた。
「今夜、シオちゃんも参加できるんやろ?」
「外泊許可取ったから大丈夫」
という栞の返事と同時に、「遙、広隆、手伝え!」という類の怒鳴り声が飛んできて、遙は思わず肩をすくめた。
「楽しみにしとる!ほら、文也も手伝え!」
遙が楽しそうに笑いながら文也の手を引いた。
「じゃあ、上で見てるから」
「うん、後でね」
手を引かれながら、文也は、栞と広隆がやさしい声で言葉をかけあっているのを見ていた。
「シオちゃんには嫉妬せえへんの?」
それに気づいた遙が、にやにやという笑顔を浮かべていじわるそうに聞いた。
「おれもそこまでヤボじゃないよっ」
むっとして文也が言い返すと、遙は声をあげて笑い、文也の頭をぐしゃぐしゃとなで回した。
「あああああ緊張するうううう」
控え室として与えられた一室で、楪は緊張のあまりのたうち回っていた。
「だーいじょうぶやって。リハーサルもやったやん」
悠然と構えた遙が隣で楪をなだめている。
「そうだけど!失敗したらどうしようううう」
「ちゃーんとフォローしたるから」
「うー」
「ええかー、観客はジャガイモや」
「ううう」
「手のひらに人っていう字書いて飲んどけ」
「うううう」
「あ。おまじないにちゅーしてやろか?」
「いらない」
「即答かっ!?」
遙と楪がそんなコントを繰り広げている一方で。
「ひろたか」
広隆が人気のない駐車場で歌の最終チェックをしていると、文也がやってきた。どこか思い詰めたような、硬い表情をしている。
「どうした?緊張してる?」
広隆の言葉に、文也は首を横に振った。
「あのさ……」
今にも泣きそうなほど真剣な顔をした文也に、広隆も真顔になって、文也と視線を合わせるためにしゃがみ込んだ。
「このコンサートが終わったら、もうおれと、いっしょにいてくれない?」
広隆は一瞬きょとんとした。言われた意味がよくわからなかったからだ。
「文也?」
問い返されて、文也はもう一度言い直した。
「ひろたかは、クリスマスが終わっても、ずっとおれといっしょにいてくれる?」
顔も知らない父。
突然に自分の前から消えた母。
やさしくしてくれた人はこれまでにも何人かいたけれど、それもひとときの気まぐれにすぎなかった。
どんなに願っても、ずっといっしょになんていられないことはわかっている。
でも。それでも。
嘘になってもいいから、約束してほしかった。
ずっといっしょにいるよ、と。
「当たり前でしょ」
広隆は文也の目をまっすぐに見て、やわらかく微笑んだ。それだけで文也の涙腺は緩みそうになってしまう。
「じゃあ、約束しよう」
広隆は小指を差し出す。ええと、と考えた。
どう考えても不確実になる約束の、できるだけ嘘っぽくならないやつを。
「文也がハタチになったら、誕生日に一緒に飲もう。どう?」
「うん!」
「じゃあ、約束」
文也と広隆は、小指と小指を絡めて指切りをした。
「文也」
広隆は腕を広げて、文也をしっかりとハグする。
そんなことを心配していたの、ばかだなあ。とか。
不安にさせてごめんね、とか。
思いついた言葉はたくさんあったけれど、その中のたった一つを選んで伝える。
「大好きだよ」
「……おれも」
広隆は顔を上げて文也を見た。文也も広隆を見た。
二人揃って泣き笑いの顔をしているのを見て、思わず吹き出す。
そこへちょうど類が二人を呼ぶ声が聞こえてきた。
「行こう」
歌おう。
広隆と文也は手をつないで走り出した。ステージへ向かって。
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