病院でのコンサートまでは約一月。
これまで病院の屋上で寝転がっているだけだった文也の生活は大きく変わった。
放課後は広隆と会い、いっしょに歌ったり遊んだりする。広隆は新しい歌も教えてくれた。
会わない日には類がカセットテープに落としてくれた歌をひとりで、屋上で聞く。覚えて歌う。
休日は朝からスタジオに出かけて行き、広隆が歌い、類がキーボードを弾き、遙がドラムを叩き、楪がサックスを吹いているのを聞く。それから文也も歌う。
『歌が好き』だと認めてしまったせいか、以前のような苛立ちは収まっていた。破壊衝動も起こらない。思い出して胸が疼くことはあるけれど、それ以上に文也は広隆の歌が好きになっていた。自分で歌うことも。
文也は広隆の仲間達とも打ち解けた。
特に楪とは、「文也くん」「ゆず姉ちゃん」と呼び合う仲だ。
放っておくといくらでも音楽の話で暴走する広隆たちの姿を、蚊帳の外からぽかーんと眺める仲間としての親近感みたいなものもある。
無愛想な類を初めは敬遠していた文也だが、だんだん怖い人ではないということがわかってきた。
なかなか挨拶ができなくて躊躇っている文也に、先に声をかけてくれたり。
文也がじーっとキーボードを弾いている手元を見ていると、
「興味ある?」
と訊いて、鍵盤に触らせてくれたり。
ある日、休憩時間にふらりと散歩に出た類はコンビニの袋を下げて帰ってきた。袋から自分の煙草を取り出すと、
「ほい」
袋ごと近くにいた文也に手渡す。わけがわからないながらも、近くにいた楪といっしょに袋の中身を覗いてみると、そこには肉まんが二つ入っていた。
「あ、ありがとうっ」
「ありがとうございます!」
慌ててお礼を言う文也と楪に、類は「ん」とだけ返事をする。
「あ、ええなあー。俺のは?」
「自分で買え」
「冷たっ」
「大人だろ」
「たまには子ども扱いされたいやん」
ありがたく肉まんを頬張る文也の前で、遙と類がそんな会話を交わしていた。広隆がそれを見て笑っている。
「そういえばあたし昔もこうやってアイスもらったなー」
楪が肉まんを食べながら思いだして言う。
「そうなの?」
「うん」
煙草を吸うために部屋を出て行く類の背中を見送りながら、実は優しい人なのかもしれない、と文也は思った。
単なる餌付けではないのか、という考察は置いておくとして。
広隆の仲間の中でも、唯一どうしてもソリの合わない男がひとりいた。
遙である。
自動販売機でジュースを買ってスタジオに戻って来た文也は、遙がドラムセットの前に逆立ちになり、足の指でスティックを挟んで叩こうとしているところを目撃した。
思わず口をついて出た言葉は、
「……ばかじゃない?」
である。
「んなっ」
遙は逆立ち状態から器用に起きあがると、文也に向かって怒鳴った。
「誰が馬鹿やって!?」
「はるかだよ。いい大人がなにやってんの?ばかじゃないの?」
もう一度同じ言葉を繰り返し、文也は思いっきり冷たい目でそう言い放つ。
「あああ!?なんやとぼーず!こら、待て!」
逆上した遙は大声をあげながら、するりと逃げる文也を追いかけた。その後ろで、
「遙って、子供を子供扱いできないタイプですよね……」
「すぐムキになるからねえ」
「あれはただの馬鹿」
楪と広隆と類がそんな会話を交わしているのをもちろん当人達は知らない。
「でも文也、よく遙につっかかるよね」
「ああ、広隆さんと仲が良いから気にいらないみたいですよ。そんなこと言ってました」
それを聞いて広隆が吹き出し、代わりに類が、
「俺も広隆と仲が良いがな」
と言った。
「『るい兄ちゃんはいいけど、はるかはひろたかにべたべたするからむかつく』だそうです」
「愛されてるなあ」
「ですねえ」
にやにや、という言葉がぴったりの笑みを浮かべながら類と楪が広隆を見る。
広隆はくすぐったそうに笑っていたが、やれやれと呟いて、嬉しそうな顔のまま遙と文也の追いかけっこを止めに入った。
その背中を見送りながら類が呟く。
「あれは将来、子煩悩の親ばかになるな」
「ですねえ」
一方、逃げる文也を押しとどめた広隆は、
「ほらほら、文也。今のはおまえが悪いだろ。謝りなさい」
と叱った。文也がむっと不機嫌そうな顔になる。
「……ごめんなさい」
「遙も大人げない」
「……わるかった」
遙も不機嫌そうな顔で謝罪の言葉を述べる。
二人は数秒視線を合わせたが、やがて同時にふん!と吐き捨てて盛大にそっぽを向いた。
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