「で?そのぼーず連れてきたからには、なんか考えがあるんやろ?」

 定位置のドラムセットの前に陣取ったまま、遙が訊いた。類もキーボードの前に陣取り、広隆はマイクスタンドによりかかるように立っている。
 文也と楪はスタジオの隅で折りたたみの椅子に座っていた。

「うん。実はね、歌ってもらおうと思って」
「は?」

 文也がきょとんとした声を出し、類と遙がへえだとほうだのという言葉を返す。

「ひろたか、歌ってもらうって……何だよ?」
「実は俺たち、クリスマスにあの病院でコンサートをやることになっててね。あの病院の院長とは友達なんだよ。入院してる患者さんを励ますために、歌ったり演奏したりしてくれないかって依頼があってね」

 ちょうど暇してたし、良いかなと思って。と広隆は言った。遙がうんうんと頷いている。

「それはわかったけど……でも、何でおれが?」
「あそこ、小児科があるでしょう。どうせなら子供から大人までいっしょに楽しんでもらえるコンサートにしたいんだよ。いっしょに歌ったりとかさ。でも歌ってるのがこんなおじさんじゃあ一緒に歌いづらいかなと思って」
「歳の近いぼーずに歌ってもらうことによって、子供らが歌いやすい環境を作ろうっつーわけやな?」
「そう。子供だけじゃなく、大人の人も歌いやすいと思うんだよね。どう?嫌?」
「い、嫌じゃないけど……」

 けど?というような顔で広隆がじっと文也を見ている。

「や、やる。やりたい」
「よかった」

 広隆がにっこりと笑う。後ろではこっそりと、

「久しぶりに広隆の笑顔でゴリ押し見たわ……」
「だな……」

 という会話を遙と類が交わしていた。

「というわけなんだけど、いい?」
「良いも悪いも、もう決定やん」
「良いんじゃない?」
「ゆずちゃんも、いい?」
「や、私はただのお荷物ですから!!」

 楪は遙や広隆と個人的親交があるだけのただの素人である。
 楪が大学に入学し、ジャズサークルに入ってサックスを吹いていると聞いた遙が、「じゃあいっしょにやらん?」と声をかけたのだった。
 人前で演奏したことがないという楪のために、先日は路上で『予行演習』と相成ったのだった。

「そんなことないよ」
「んなことあらへん」

 広隆と遙が口々に言い、類がその通りと言わんばかりにこくこくと頷いている。

(ああもう……嬉しくて顔から火吹きそう……)

 楪は思った。熱い頬を手で押さえながら、返事をする。

「いいと思います……がんばります……」

 その答えを聞いて皆が笑う。文也が不思議そうに尋ねた。

「なあ、ひろたか。ひろたかって、何なの?」
「職業的ミュージシャン」

 広隆は目を細め、誇らしげにそう言った。

「デビューしてんの?」
「もちろん」
「売れとらんけどな」
「しかも休業中」
「余計なことは言わないの」

 言いながら広隆は笑っていた。その隣で、

(なるほど、プロかあ。歌うまいわけだ)

 と文也はひとりで納得していた。

「さてと、話はまとまったか?本題に入ろう。当日の曲目と構成は?」

 類がどこからか紙とペンを取り出し、きゅっと音をたててペンのキャップを取りながら言った。

「まず時間は?」
「一時間。最長でも一時間半で納めてほしいって」
「了解。『Silent Night』と『ジングルベル』と『赤鼻のトナカイ』は確定か?」
「一応。洋楽はどうする?」
「『Last Christmas』は?王道すぎ?」
「それなら『This Christmas』がええ」
「『The Christmas Song』は?」
「それ言ってたらキリがないだろう……邦楽ポップスは?やるの?」

 ああだこうだと話し合いを始める大人達の隣で、文也の顔がみるみるうちに不機嫌そうになっていくのを楪だけが気づいていた。
 やがて臨界点に達したのが、頬をふくらませてぷいと席を立ち、スタジオを出ていってしまう。
 それに気づいたのも、楪だけだった。

(仕方ないなー)

 とため息をつき、彼女もこっそり席を立って文也の後を追った。



 文也はスタジオを出たところにある廊下の端にうずくまっていた。
 こうしていれば心配した広隆が探しに来てくれるんじゃないか、と期待している自分はずるい。と思いながら。

「文也くん」

 横手からかけられたのは女の声だった。
 見上げると、黒い髪を長めに伸ばした女の子が立っていた。さっぱりした、飾り気のない格好をしている。
 楪である。まだ名前を覚えていない文也は、さっきスタジオにいた人だな、と思った。

「お手洗いはこっちじゃないよ」

 と言いながら文也の隣に座る。

「ほっとかれたから、怒ってる?」

 文也は何も答えず、ただ黙っている。楪はそんな文也を見て笑い、

「さては図星か」

 と言った。

「図星じゃないっ!」

 文也はむっとした口調で言う。

「おれは怒ってるんじゃない!怒ってはないけど、なんつーか……」

 むむむ、と難しい顔で文也は考えこんでいる。

(なんだ意外と威勢がいいなあ。さては人見知りがひどいだけで、これが地なのか……)

 と楪は悩む文也の隣でひとりで納得していた。

「裏切られた、感じ」
「裏切られた?」
「だって、さっき見ててわかったけど、ひろたかにはいっぱい友達がいるんだろ?でもおれには誰もいない。ひろたかしかいないんだ。そういうの、なんかずるい……」

 楪はそれを聞きながら吹き出しそうになった。が、ここで笑ったりしたらこの子供に失礼だと思ってこらえた。
 そういう独占欲は、自分も幼いころに感じたことがあった。さらに、

(この子ほんっとに広隆さんのこと大好きなんだなあ……)

 としみじみと思ってしまったのである。
 文也は言うだけ言うと、不機嫌そうな顔をして黙ってしまった。

「友達、作ればいいじゃない。いっぱい」
「無理だよ。おれ、クラスでは嫌われてるんだ」
「文也くん、いくつ?」
「小六」
「十二歳か。大丈夫だよ。そのくらいの歳の子なら嫌なことなんかすぐに忘れて、仲良くなれるよ」
「でも……」

 また難しい顔で黙ってしまった文也を見て、楪はこっそり笑った。

「友達が増えたら、広隆さんが『特別』じゃなくなっちゃいそうで怖い?」

 楪が言うと、文也が驚いたように顔を上げた。

「あんたエスパーか!?」

 子供らしい発言に楪はついに吹き出してしまった。声をあげて笑う。

「なんだよ、笑うなよ!!」
「いやー、ごめん。なんというか、年の功をなめるなーって感じ。ちなみにあんたじゃなくて楪。せめてお姉さんと呼びなさい」
「ゆずりは」
「……まあよしとしよう。あのね、大丈夫だよ。文也くんは広隆さんのこと大好きだし、広隆さんも文也くんのこと大好きだって」
「なんでわかるんだ?」
「見てればわかるって」

 大人は皆エスパーなのか……?と首を傾げる文也を見て、楪はもう一度笑った。そこへ、

「文也。ゆずちゃん」

 広隆の声が響いた。数メートル先に彼が立っている。

「ひろたか!」

 嬉しそうな声をあげて、文也が広隆に駆け寄っていく。広隆がよしよしとその頭を撫でて、

「音を出すから、ゆずちゃんもおいで」

 と楪に言った。柔らかく細められたその目がありがとう、と言っていたので楪もにっこりと笑い返してスタジオに戻った。

「あれー、ゆず。どこ行っとったん?」

 スタジオに入ってきた楪を見て、不思議そうに声をかけたのは遙だ。

「文也くん連れて、ちょっと散歩」
「ふうん」
「ああ……最近、誘導尋問形式が遙に似てきたのが非常に複雑だわ……」
「はあ?」
「いえこっちの話」



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