あたらしい世界 K.O,L,2

   第二部




「ねえ、本当にここでやるのー?」

 少女は呆れたような声をあげて、隣にいる同行者にちらりと目をやった。

「何、びびってんの?やるったらやる。度胸試しやって」

 隣に立っているのは三十過ぎくらいの男である。
 この歳ならサラリーマンらしい服装をしているのが普通だろが、彼はラフなシャツにジーンズという格好だった。髪も明るい茶色だ。
 少女の方は二十歳前後くらいだろうか。なにやらちぐはぐな組み合わせである。
 男と少女は街のど真ん中にそびえ立つ、大型ショッピングセンターの前の広場に立っていた。
 背後にはのどかな水音をたてる大きな噴水がある。

「遙ぁ……」
「ほれほれ、ぼーっとせんと。ちゃっちゃと動く!」

 少女はまだ物言いたげな顔をしているが、遙と呼ばれた男は肩に背負っていた荷物を置いててきぱきと準備を始めていた。
 地面に置いたケースの中から取りだしたのは、綺麗な飴色をしたアコースティックギターだった。

「わあ、初めて見た。遙がドラム以外の楽器持ってるとこ」
「そりゃあ愛してんのはドラムやからな。これでも昔は一通り弾いとったんやで。ヴォーカルもやったし。……ゆず、チューニングはしっかりな」

 小さなメトロノームを取り出しながら、遙は少女に念を押した。

「わかってまーす」

 ゆず、と呼ばれた少女も荷物を降ろしながら返事をした。
 本名は楪というのだが、遙を始めとする彼の仲間にはゆずと呼ばれている。
 楪が荷物から取り出したのはサキソフォンだった。大学のサークルから借りてきたものである。
 チューニングを済ませた楪は、無駄なあがきと知りつつも最後にもう一度言った。

「遙。ほんっとーにやるのね?」

 チューニングの間だけでもあちこちから好奇の視線が向けられてきて、走って逃げたい気持ちだったのだ。
 これ以上やるならさらに目線が集まること間違いなしである。

「やるやる」

 遙は視線を感じていないのか、平然とした口調で言った。

「女は度胸やろっ、覚悟決めい。うまくいったら夕飯、焼き肉やでー」

 飄々とした口調で言う。楪があと一歩というところで躊躇っているのを見て遙は面白そうに笑い、

「ゆずりはサンが最初の音を吹いてくれんと、演奏できんのやけど?」

 と悪戯っぽく続けた。

「……わかった、わかったわよ!いきます!」

 ようやく覚悟を決めた楪が大きく息を吸い込み、最初の一音を鳴らしたのを聞いて、笑いながら遙もギターの弦に指を置いた。



「で、うまくいったの?『予行演習』は」
「もうばっちり」

 遙がピースサインを作って、最初の質問をしてきた男に示した。
 場所は都内の某所にあるスタジオ。
 防音が施された一室には、キーボードが一台にドラムセットがひとつ組んである。それにマイクスタンドが一本。
 遙に尋ねてきたのは、キーボードの前に座った男だった。
 痩せていて背が高い。黒髪を短く揃えた、物静かな感じの男である。あまり表情が動かないので、怖いと言われることもあるが。
 名前を長谷川類という。

「それはよかった。ちゃんと焼き肉も食ったのか?」
「それもばっちり。ってゆず、何しとんねん」

 ドラムセットに腰掛けた遙が後ろを振り返り、スタジオの隅で壁とお友達になっている楪を見つけて言った。

「は、恥ずかしい……もう二度とやりたくない……」
「次はあれ以上の人数の前でやんねんぞ」
「言わないでええ!!!」

 類はそんな遙と楪のやりとりを面白そうに見守っている。

「むうう……そういえば、広隆は?」
「ちょっと遅れるってさ。可愛いお客さんを連れてくるらしい」
「ああ、例のぼーず?」

 そう、と類が頷くと同時に、タイミングよくスタジオの扉が開いた。

「ごめんごめん、遅れました」

 にこにこと笑いながら入ってきたのは広隆である。灰色のジャケットに黒いズボンというこざっぱりした出で立ちだ。
 その広隆のジャケットの背中に隠れるようにして、ひしとしがみついている小柄な人影は、あの少年だった。

「ほら、ご挨拶は?」
「よ、よろしく……」

 お願いします、という続きの言葉は音量が小さくて聞き取れなかった。
 怯える小動物、という言葉が類と遙と楪の脳内に去来した。

「ぼーず、名前は?」

 やや乱暴とも言える調子で尋ねたのは遙だ。少年はびくびくしながら広隆を見上げたが、彼は目を細めて笑い、ひとつ頷いた。

「高藤文也……」

です、という言葉はやはり小さくて聞こえなかった。

「ふみや、な。俺は喜多野遙。で、こっちが長谷川類。後ろで丸まっとんのが牧野楪」
「誰が丸まってるのよ!?」
「ならしゃんとせんかい。よろしゅうな」

 言ってにこりと遙は笑った。

「よ、ろしくお願いします」

 文也はどきまぎしながらもちゃんと最後まで挨拶した。
 広隆は笑いながら、文也の背中をぽんと押して一歩を踏み出させた。



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