翌日もその翌日も、白い人影――広隆は屋上に現れて、必ず少年に声をかけた。
 少年は何度も知らん顔をしてやったが、少年がいくら冷淡に扱っても酷い言葉を吐き捨てても懲りずに話しかけてくるのだ。
 そして歌を歌う。綺麗な、よく響く声で。
 疎ましく思いながらも、少年に彼は無視できない存在だった。
 いれば気になる。でも、そんな自分が嫌だ。

(いらいらするいらいらする)

 理由はわからないが我慢できない苛立ちは日々高まり、少年はそれをなだめる手段に出た。
 コンビニで駄菓子を盗んでみた。クラスメイトの持ち物を隠してみた。ブロック塀に落書きをしてみた。しかし、全く苛立ちは収まらない。
 教室に飾られていた花瓶を落として割ったとき、ようやく少しすっきりした。そこで少年は気づく。

(そうか、何かを壊せばいいのか)

 単純な破壊衝動である。どうせなら、と音がなるものを片っ端から壊してみることにした。
 まず自分のリコーダーを壊した。もともと音楽の授業には出ていないので問題はない。
 次に早朝の音楽室に忍び込み、ピアノを壊そうとした。バットで殴ったが表面に傷がついただけだ。ピアノ線ははさみでは切れなかった。仕方なく、バケツの水をぶっかけて勘弁してやった。
 ついでにメトロノームを4階から地面に向かって落とした。あっけなく壊れた。
 学校は少年が予想した以上に大騒ぎになった。翌日に緊急に朝会が開かれ、校長が長い説教をした。

『このようないたずらは決して許すことはできません』

 違う、と少年は思った。

(いたずらじゃない)

 少年にとっては切実な行動だった。



 その間も彼は屋上に通い続け、もちろん歌声は続き苛立ちは募る。
 しかし学校のものはもう壊せない。少年の目は外に向いた。
 石を投げつけて楽器店のショーウインドウを割った。同じく、公園の音楽時計に向かって石を投げた。店頭で売られているオルゴールを落として壊した。

(まだまだ、いらいらする)

 ここ最近は音のなるものを壊す作業に没頭していたために屋上を訪れていなかったが、どこかにあの歌声が残っているような気がして気持ちが悪い。
 しかし物を壊しても、最初のときのような爽快感は味わえなくなっていた。
 むしろ壊せば壊すほど、音楽を奏でるものが次々に見つかって苛立ちが増す。
 たいていの目に付くものには被害を与えた少年は、次に何を壊せばいいのだろうと考えた。
 そして思い出す。病院のどこかに音楽時計があったことを。
 1時間ごとに「かえるの合唱」やら「ドレミの歌」やらを鳴らす大きな時計だった。
 公園の音楽時計は壊せなかったが、きっとあれなら壊せるだろう。
 あれがあったのはロビーではなかった。どの階だったか、と考えながら少年はバットを握り締めて病院に向かった。



 音楽時計があったのは産婦人科の階だった。
 周囲に人気はない。
 看護士の詰め所からも死角になっている。ちょうどいい。
 目の前の時計はちょうど5時を差し、「赤とんぼ」のメロディーをなぞった電子音がひょろひょろと流れている。
 無性に苛立ちがこみ上げて来て少年はバットを強く握り、それを振り上げようとした。
 そのとき。

「やあ」

 横手からかかった声。耳に馴染んだ、忌々しい声。

(ジャマが入った)

 心の中で舌打ちをする。

「久しぶり」

 そこに彼が立っていた。少年を苛立たせる歌声の持ち主が。白い上着が夕日に染められて朱く見える。

「最近屋上にいないね。なにかあった?」
「別に」

 少年は内心の動揺を隠して、そっけなく答えた。

(出直しだ)

 黙って彼の横をすり抜けようとした少年は、不意に右腕を掴まれた。

「なんだよ!?」
「そんなに音楽が嫌い?」

 彼が真面目な顔で聞く。
 少年は呆気にとられた。何を言ってるんだこいつ、ときょとんとしてしまう。
 しかし一瞬の後、少年は自分の答えるべき言葉を思い出した。

「大嫌いだ!」


「嘘」


 はっきりと彼は断言した。真剣な瞳だった。

「きみは歌が好きなはずだよ」
「離せ!」

 少年は暴れてその手を振り払う。

「わけわかんねーこと言ってんじゃねえよ!」

 吐き捨てて、ばたばたと足音を立て、少年はその場から逃げた。



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