放課後を告げるチャイムが鳴る。
少年はノートや教科書を雑に鞄の中に詰め込むと、席を立って教室を出ようとした。
「高藤くん」
呼び止められて振り返る。担任が立っていた。担任の回りには数人の女の子が立っており、非難するような目でじっと少年を見ている。
「今週は高藤くんの班が掃除当番でしょう?」
担任がとがめるように言う。そうだそうだ、と女の子たちが頷く。少年は冷めた目をしてそれらを眺めた。
「高藤くん?」
担任が言う。少年は思った。
(ここでごめんなさいって謝って言うとおりにすれば満足?)
だが、初めから言うことをきく気などない。少年は担任を無視して、教室の外へ出た。
担任の高い声がもう一度少年の名前を呼んだが、振り返ることはなかった。
少年は帰り道を急いでいた。
同じ年の子供たちは誰も少年とは遊んでくれない。声もかけてくれない。
学校の先生達には疎まれている。
「家」は居心地が悪いだけだ。大部屋からやっと二人部屋に移ったのは良かったが、ひとつ年上の同室の子供とはソリが合わない。
少年は自分がひねくれた可愛げのない子供だとは思っていたが、だからといって天使のように素直で可愛らしい子供として振る舞うことなどまっぴらだった。
少年はいつものように「家」の前を通り過ぎ、その隣にある病院に入る。
大きな病院の広いロビーには、ひとりくらい少年のような無関係な子供が紛れ込んでも見とがめられることはない。
少年はエレベーターに乗って最上階へ上った。
そこからさらに階段を上り、屋上に出る。打ちっ放しのコンクリートが広がる殺風景な屋上である。
しかしここは少年のお気に入りの場所だった。特に屋上の高台の上は。
がしゃがしゃと音をたてながらはしごを上り、ごろりと寝転がる。
背中には冷たいコンクリート。上には鈍色の空。
普段はここで昼寝をしたり、図書館で借りた漫画を読んだりして夕食までの時間を過ごす。
少年はここが自分の「部屋」だと思っていた。ここが自分の「部屋」で、自分の世界の全てなのだと。
学校も「家」も疎ましいだけだった。ここにいるときだけは穏やかでいられた。小さな、平和な世界。
しかしこの日、その平和な世界に侵入者が現れたのである。
「やあ」
いきなり聞こえてきた声に、少年は度肝を抜かれた。
はしごから上半身をのぞかせた人影。それは昨日の白い人影だった。
今日も同じ白い上着を着て、灰色のセーターに濃紺のジーンズを身につけている。
「お邪魔します」
やたらと丁寧に断りの文句を言って、彼は少年の世界に侵入した。
突然の侵入者に、少年は焦った。
「おい、なんだよ、あんた!?」
「いや、お話でもしない?」
「はあ?わけわかんねえよ!下りろよ!」
「きみも暇なんじゃないかと思って」
その言葉を聞いた少年は、一瞬言葉を詰まらせる。
「あんたと話すことなんか何もねえよ」
下りろ。そう吐き捨てて少年ははしごを指す。
そうか、と残念そうに呟いた彼は、
「じゃあ歌を歌ってもいい?」
と少年に聞いた。
「……好きにすれば」
視線を落として少年が答える。
「歌は好き?」
彼のその問いかけに少年は顔を上げる。彼は微笑んでいた。嬉しそうに。
その顔を見て、無性に腹が立ってきた。
「大嫌い」
少年は真っ直ぐに、彼を睨む。敵意を込めて。
「出て行けよ」
少年は硬い声で彼に要求した。
彼は困ったような、悲しそうな顔をして頷き、少年に背を向ける。はしごに足をかける。
「ああ、おれは」
彼が口を開き言う。
まだ何か言う気かこいつ、と少年が彼をにらむ。
「幡多広隆。きみは?」
「あんたに教える名前なんかないよ」
少年は即答する。彼はそれを聞いて、少年に見えないよう苦笑いした。
はしごがきしむ音がした後、彼が屋上を歩く靴音がしばし響いて、次に歌声が流れた。
(あいつ本当に歌ってやがる)
聞き耳を立ててしまいそうな自分の耳を強く抑え、少年はその場に寝転がって目を閉じた。
(……いらいらする)
音楽なんか、歌なんか聴きたくないのに。
それでも塞いだ耳の間から漏れ聞こえてくるメロディーを追いかけるのを止められなかった。
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