The Ruler.




 こぢんまりしたホールに司会者の声が高らかに響き渡る。
「さあお次は本日の目玉、世にも珍しい雫形の大型ブルー・ダイヤモンドでございます!」
 ここは都内にひっそりと存在するオークション会場である。
 若いながらも宝石商として身を立てている私は必ずやこのブルー・ダイヤモンドを競り落とすつもりだった。
 数年前に興した会社は順調に軌道に乗っており、資金は十分にある。
 会社の目玉としてブルー・ダイヤが欲しかったのはもちろんだが、おとなしく私の隣に座り、期待を込めた瞳で私を見つめている新妻にいいところを見せたいという気持ちもあった。
 競売開始の鐘が打たれ、刻々と値がつり上がっていく。
「六千万!」
 という声があがったところで、私がすかさず手を上げ、
「一億!」
 と叫ぶと、周囲がどよめくのがわかった。
 人々の挙手が止まり、私は優越感を感じる。
 そこへ、潰れたような低い声が、
「一億二千万」
 と告げた。
 会場内を先ほどとは違ったどよめきが包む。
 発言したのは会場の座席の一番後ろに座っていた男だった。
 白いスーツに鮮やかな赤いシャツ、卸したてのようにエナメルが光る革靴に、ごつい指輪をはめてさらにサングラスをかけた、明らかに堅気とはいえないような風情の男である。
 私は舌打ちをしたくなった。実際、隣に妻がいなければ盛大に舌打ちをしていたと思う。
「一億三千万!」
 私が大声をあげると、男は私をちらりと見て親しげににやりと笑った。
 忌々しい。
 私は男をよく知っていた。名前は灰島。私のような正規ルートで商売をしているまっとうな宝石商とは違い、裏のルートで商品を仕入れて売りさばき、偽物すら取り扱う闇宝石商である。
 表ではそんなアブナイ噂があるだけ、ということになっているが、私はヤツの汚い手口を直接知っていたし、実際何度かいいところで狙っていた品を横取りされたりしていた。
 妻の手前、会社の為、今回ばかりはヤツにブルー・ダイヤを奪われるわけにはいかない。
「一億四千」
「一億五千!」
 ……値が三億にまでつり上がったところでオークションは打ち切られ、私と灰島は出品者のもとへ呼ばれることとなった。


 オークション終了後、私と灰島はステージの裏にある控え室に呼び出された。
 私がドアをノックして入室すると、そこにはすでに灰島がいた。
「よう、倉沖」
 無視する。つれないねエ、と灰島が笑った。
「お二人ともおそろいですか?」
 ステージ側の入り口から司会者とこのオークション会場のオーナーが現れる。
 彼がブルー・ダイヤの出品者であるらしい。
 オーナーは私か灰島かどちらかに三億でブルー・ダイヤを売っても良いと告げ、どちらに売るかを決めるためにひとつテストを受けてほしいと言った。
「貴重な雫形のブルー・ダイヤですからね。購入時に保険としてダミーを作ったのですよ。別室に本物とダミーを両方とも設置しておきますので、本物を見分けられた方にダイヤをお売りしましょう。どうなさいます?」
 オーナーが私と灰島に尋ねた。
「もちろん結構です。やりましょう!」
 私が力強く宣言し、灰島も頷いた。
 宝石商の経歴は短くはない。本物とダミーを見分けられる自信はある。
 オーナーは鷹揚に頷き、
「では三十分後に再びここで」
 と告げた。去り際に、
「お手やわらかに」
 と灰島が笑いながら私に言ったが、鼻で嘲笑ってやった。


 私はホールに戻った。
 ホールの席に座って妻が待っていた。
 妻は私より五つ年下の二十五歳。淡い桜色のスーツを身にまとい、慣れない場所に不安そうな顔をしている姿は、実年齢よりずいぶん幼く見えた。
 妻に勝負の内容を聞かせてやると、彼女は眉を寄せて心配そうな顔をした。
「大丈夫、心配いらない」
 私は胸を叩いて言う。
 闇取引をしているような男が正確な見極めなどできるわけがないではないか。そう思っていると、
「倉沖様、少々よろしいですか?」
 声をかけられて振り返ってみると、そこにいたのは先ほどの司会者だった。
 司会者は小声で告げる。
「先ほどは灰島様の手前、あのように申し上げましたが、オーナーは倉沖様にブルー・ダイヤをお売りしたいと考えております。倉沖様の宝石商としての手腕は業界でも高く評価されておりますので……」
 願ってもないことだ。私は頷いた。
「そこでですね――倉沖様と灰島様には一人ずつ順番に別室に入っていただいて本物を探していただくことになっているのですが、灰島様がテストを受けるときには本物のブルー・ダイヤを隠してしまおうと思っております」
「つまり、灰島には本物は見つけられない?」
「その通りでございます。倉沖様には後ほど答えあわせをする際に本物のダイヤを指摘していただくということで、いかがでしょうか」
 ありがとうございます、と私は頭を下げた。妻が隣で驚いた顔をしている。
 司会者はひとつ頷くと戻っていった。
「あなた、良いの?」
「良いんだ。こういうこともある」
 そう、こういうこともあるのだ。
 悪く思うなよ、灰島。と私はひとりにやりと笑った。


 三十分後、再び控え室に集合した私と灰島はテストを受けることになった。
 興味を持ったらしい妻も――もしくはホールにひとり取り残されることに耐え切れなくなったのか、ついてきた。
 手順は簡単。まず一人ずつ別室に入って本物のダイヤをチェックする。このときはダイヤに手を触れてはならない。
 後ほどそれぞれに本物と思われるダイヤを選んでもらい、それが本物か否かをチェックするという方式である。
 まずは私からだ。
 妻と共に控え室の隣の小部屋に通される。
 ドアを開けると、部屋の中はそれ自体が青白く発行しているかのように輝いていた。
 部屋はゲスト用の貴賓室らしく、ソファや形だけの暖炉が置かれた室内に、大小のブルー・ダイヤが飾られていた。軽く三十はあるだろう。
 この中のひとつだけが本物で、残りは偽物だ。
 しかし私にはどのブルー・ダイヤが本物なのかすぐにわかった。
「わかるの?」
 妻が小声で――しかし期待を込めた顔をして私を見上げ、尋ねてくる。
「もちろん」
 と応えて、私は暖炉の上に飾られている大振りなダイヤモンドを指差した。


 つつがなく灰島の番も終わった。
 少々待たされた後(おそらく、一度隠したブルー・ダイヤを元に戻しているのだろう)、私と灰島は再び控え室に集められた。
 司会者にオーナーに私に妻、それに灰島とで控え室に入る。室内はきらびやかな光を放っていた。
「では、本物と思われるダイヤをお選び下さい」
 司会者が楽しげな声音で言った。
 灰島に恥をかかせることができると内心では喜んでいるのだろう。もちろん私も同じ気持ちだ。
 灰島の様子をそっとうかがうが、涼しい顔をしている。
 その顔が屈辱に歪む様を早く見たい。
 声がかかると同時に私はすばやく暖炉に歩み寄り、ブルー・ダイヤに手を伸ばした。

 しかし私がその青い輝きを手にするより前に、後から伸びてきた厚く大きな手がダイヤを掠め取った。

 オーナーとホストは呆気に取られ、状況が飲み込めない私がぽかんと口を開けて振り返ると、そこにはもちろん灰島が立っていた。
 手の中には大きな雫形のブルー・ダイヤモンド。ヤツは気障ったらしくそれに口づける。
「俺のときだけ隠さなくても良いだろうに。不正だなんてヒドイじゃないか」
 サングラスを外した灰島が、楽しそうに笑いながら告げた。
「な……どうして……」
「そりゃあ、部屋ン中にこれだけダイヤがいっぱいなのに暖炉の上が不自然にぽっかり空いてちゃ誰だっておかしいと思うだろうよ」
 馬鹿だねえ、とでも言いたげに灰島はくつくつと笑って、まあそれだけじゃないけどなと続けた。
 背が高く筋肉もついた灰島の巨躯がイミテーションだらけの小部屋の中を堂々と横切り、とある人物の前で足を止める。
 それが当然とでもいうような自然な仕草で彼女の腰に手を回し、少し身を屈めて音をたててその頬に唇をつけた。
 私は真っ青になり、次に怒りで真っ赤になった。

 灰島が自分の恋人のように腰を抱いている女性は私の妻だった。

「俺一人じゃ罠にかかってただろうさ。小夜子に聞いたんだ」
 灰島が自慢げに言い、不敵に笑う。妻は真っ赤になってうつむいている。それが羞恥心からくるものか、それとも灰島の行動に照れているからなのかは量りかねた。
「小夜子!」
 私は叫ぶ。妻は私と目を合わせようとせず、ただ首を横に振った。
「あんたも懲りないな。俺に女を奪われるのはこれで何人目だ?」
 灰島が嘲るように言った。私は怒鳴った。
「いい加減にしろ!お前はいったい何が目的なんだ!俺を苦しめてそんなに楽しいのか!」
「楽しいね」
 灰島が笑った。
「お前みたいな女房一番、会社一番みたいな顔して実は何も大事にしてない外ヅラだけの男から何もかもを奪っていくのは正直とっても楽しいよ」
「ち……」
「違うって?正直あんた、さっき久しぶりに小夜子の名前を呼んだだろう?以前読んだのはいつだったか覚えてるか?小夜子がどうされて喜ぶかお前は知ってるか?」
 言いながら灰島は後から妻を抱きすくめるようにした。妻がその腕の中で身をよじった。
「仕事だってそうだ。ダイヤ一つに三億も出してたら経営が危うくなるってわかりそうなもんだろう?あんたは会社のことより自分の自尊心を満たそうとしただけじゃないか」
 灰島の笑うような、歌うような声が私の鼓膜に突き刺さる。
「あんたの会社はもう十分儲かってるじゃないか。これ以上金稼いでどうするよ?というわけで、これは俺が買い取らせてもらうよ」
 このサイズなら一億二千万が妥当だろう、と硬直しているオーナーと司会者に告げ、灰島は無造作にポケットから取り出した小切手を放り投げた。
「さて――」
 灰島が笑いながら妻にもう一度深口付け、
「お別れだ」
 と最後の台詞を告げた。荷物を放り投げるように妻を振り払う。
 手のひらを返すように手酷く扱われた妻が呆然とした顔で言う。
「どうして?」
「そりゃああんたみたいな面倒臭い女は御免だからさ」
 灰島がくすくすと笑い、夫婦仲良く暮らしなよと言い捨てて背を向けた。
 呆然とした私と妻を残し、ひらひらと一枚の紙切れが視界に舞う中、灰島はひとり青白い部屋から出て行った。


                                                                       Fin.


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【あとがき】
ピカレスク!!!(笑)
一度書いてみたかったのでしたピカレスク。悪漢小説ですね。
元ネタはゴスペラーズのアルバム「Be as One」より「The Ruler」。
これがまた格好良いんだ・・・!!!
サークル小冊子の穴埋め用に書いたので自分に課した課題は、
「一時間以内で書ける」
「手書きができる分量」
「話を大きくしない」
「灰島を酷いやつにする!」
でした。深夜三時頃に回らない頭で書いたにしては上出来かと(自画自賛)
それは置いといて、好きです。この話。
灰島書くの楽しかった。また出したいなーと思っております。負け犬な倉沖くんとかも。