中学からの友人に、面白いのがいた。
そいつは、いつもぼんやりと空を眺めていた。
飛び方を知らない鳥みたいに。
鳥なのに。背中には羽根があるのに。
なんで飛べないんだろう?という顔をしていた。
「授業遅れるぞ、お前」
放っておくといつまでもぼーっとしているそいつに声をかけると、やつは振り向き、人懐っこい顔で笑った。
海開き前の浜辺には無数のゴミが散らかっている。
空き缶、空きビン、ペットボトル。プラスチックのトレイ。気の早い手持ち花火の残骸。どっからか流れてきた流木。エトセトラエトセトラ。
「まったくいいかげんにしろっつーの!」
そうぶつぶつ呟きながら、麦わら帽子をかぶり軍手をした俺は、片手にゴミ袋を持ち片っ端からそのゴミを拾っていた。
しかし今いくらきれいにしたところで海が開けばまた汚れるし、夏が終わればまたゴミだらけになるのだ。
こうなると俺の人生ゴミ拾い、のノリである。
「ゴミくらい拾って帰れ!てーか捨てるな!」
俺が思わず大声で叫ぶと、頭上から笑い声が降ってきた。
何だと思って振り返り、背後にそびえ立つ堤防を見上げる。
堤防の上から身を乗り出すようにして、男がひとり立っていた。
「あはは、なんでそんな近所のおばちゃんみたいな格好してんの!」
そいつは俺の姿を見て大笑いしていた。
「うるせえ!久しぶりくらい言えこの住所不定無職!」
俺が怒鳴ると、やつはさらに大声をあげて笑った。
中学を卒業し、高校に入ってからもやつは相変わらずふわふわしていた。
朝や放課後に時々見かけるやつは、たいていぼうっと空を見上げているか、ひとりで本を読んでいるかのどちらかだった。
趣味も性格も全く違うし、特別親しいというわけでもなかったが、俺は何となくそいつのことを気にかけていた。
「あれ、また同じクラス?」
「おう」
新学期の新しいクラスで、俺を見つけたやつは文庫本から顔を上げて微笑った。
「縁があるねえ。またよろしく」
「おう」
「海の家も大変だねえ」
笑ったからには手伝え、と申請したらあっさり「いいよー」と快諾されてしまったので、二時間ほどかけて二人で浜辺の大掃除をした後で。やつはそんな感想をもらした。
「まーな」
俺は堤防の陰に座っているそいつに、近くの自動販売機で買った缶コーヒーを手渡しながら答えた。
「お前いつ帰って来たの?」
「今さっき」
「実家は?」
「家帰ったら、おれ二度と出してもらえないと思う」
「まあ確かに」
高校卒業と同時に家出したようなもんだからなあ、と俺は思い、隣に座るやつをちらりと横目で見た。
会うのは数年ぶりだったが、あまり変わっていない。痩せすぎず太りすぎず。髪は相変わらず黒く短くしているし、ジーンズにTシャツ、その上にチェックのシャツを羽織り袖をまくり上げた格好も何の飾り気のないものだ。
こいつ歳とらないんじゃないか、と一瞬疑う。そんなわけはない。
「なに?」
「いや、なんでも。いつまでこっちにいるんだ?」
「ん、ちょっと近くまで来たから降りてみただけなんだよね。まさか知り合いに会えるとは思ってなかったし」
「相変わらず行き当たりばったりなのな……」
「まあねえ」
「余裕はあるんだろ。うちに一晩泊まってけ。俺まだ仕事あるから、夕方までちょっとその辺で待ってろや」
俺にはまだ、すっかりホコリが溜まっているだろう海の家を掃除するという大仕事が残っていた。
「いいの?お世話になりまーす。仕事手伝おうか?」
俺はひらひらと手を振ってやつの申し出を断り、背を向けて歩き出す。
さすがにこれ以上手伝ってもらうのは申し訳ない。
「お前は本でも読んでろ」
「じゃ、お言葉に甘えて」
ちらりと振り返ってみると、やつが荷物の中から文庫本を取り出し、ページを開いたところだった。
高校からの帰り道、やつが駅前で知らない男と話しているのを見かけた。
男の方はそれほど若くはない。俺の父親くらいの歳だろう。
大きな旅行カバンを傍らに置き、ときどき相づちを打ちながらやつの話を聞いている。
そうなのだ。ふだんのぼんやりはどこへやら、男に熱心に話しかけているのはやつの方だった。
頬を紅潮させ、瞳を輝かせて何事かを聞いている。男がそれに答え、やつが頷く。
てっきりぼーっとしているせいで何か変なのにつかまったんだろうと思っていた俺は、少々意外に思った。
気になったので、翌日学校でやつにそのことを尋ねてみた。するとやつはぱっと顔を輝かせて言った。
『旅をしながら、本を書いてるんだって』
すごいよなあかっこいいよなあ、とやつはきらきらした顔で繰り返した。
ああうん、と俺は曖昧に頷きながらぼんやりと理解した。
ああこいつは、知ってしまったんだなと。
夕方、なんとか掃除を終えた俺が浜辺に戻ってくると、やつは同じ場所で同じ姿勢で本を読んでいた。
読んでいる本のタイトルをちらりと見て、俺は言う。
「お前、まだそいつの本読んでんの」
「今、二百四冊め」
やつは本から顔を上げずに答えた。
「……多くねぇ?」
「二週目だから」
「あ、そう」
俺はやつの手からひょいと本を取り上げて、言った。
「飲みに行こーぜ」
それからのやつの行動は明確だった。
速やかに学業全般を放り投げ、ひたすらバイトに専念したのである。
受験期に突入し、どうするのかと周囲にせっつかれても、やつは変わることがなかった。
俺は不真面目な受験生をやりながら、それを横目で見ていた。
やがて高校の卒業式がやってきて、つつがなくそれが終わり、四月になった。
忘れもしない四月一日の朝だ。
そのころ、俺は浪人が確定していたのでわりとお気楽に毎日を過ごしていた。意味もなく早起きし、ふらふらと近所を散歩していると、前方からやつがやって来た。
やつは肩に大きなスポーツバックを提げていた。
「行くのか」
と俺は聞いた。何となくそれはわかっていた。
「もう高校の生徒じゃないしね」
「一応言うが、今日はエイプリルフールだぞ」
「いいよね、冗談っぽくて」
ふふふ、とやつは笑った。ああこいつは本気だと俺は理解した。
見送る、と一方的に宣言して、答えも聞かずに俺はやつの隣に並び、歩き出した。
「さみしくなるなあ」
お前、いいやつなのにな。と呟くと、やつはくすぐったそうに笑った。
「あー頭痛てぇ……」
俺は二日酔いで痛む頭を抱えながら駅のホームに立った。
季節が初夏に傾き始めたせいで、朝は早くなっていた。五時だというのに辺りはぼんやりと明るい。
「ははは、酒弱くなったんじゃない?」
「違ぇよ。お前がザルなんだよ」
失礼なことを言うやつに、力無く言い返す。
こいつがザルだというのを毎度毎度忘れる俺も悪いのだが……。
「ああお前、冬になる前にコート取りに来いよ」
「ええ?送ってよ、住所教えるから」
「そんな面倒くさいことするか!ただでさえお前、着払いで送ってきやがって……メモ用紙に『冬まで預かってください』って何だそりゃ!ちゃんとクリーニング出して保管してあるから有り難く思えよ!」
俺の渾身の怒鳴り声を聞き流し、やつは楽しそうに笑い声をあげた。
「ほんと、そういうとこ几帳面だよねえ」
もういい。糠に釘打っても仕方ないぞ俺。
「だから預けても安心なんだけどね」
そう付け加えてやつは俺を見て、目を細めて笑った。
カンカンカン、と遠くで踏切の音がする。電車が近づいているのだ。
「とにかく、取りに来るついでに顔を見せろ。それから手紙とか絵はがきとが電報とか、何でもいいから連絡寄こせ」
「はいはい」
踏切の余韻が空気の中に残っている。
俺はひとりホームに立ちつくし、電車が去った方を眺めていた。
やつは空の飛び方を知った。そして飛んでいった。
負けてらんねえな、と呟いて俺は大きく伸びをした。
ストックはこれで最後ですが、思いついたらまた書きます。
キネマ氏はたぶん「杵間」さんなんだと思います。
旅人は号泣の喫茶アカペラのくろさわさんイメージで書きました。
そしてこの話はまんまむらかみさんとくろさわさんです・・・(汗)
テーマは「クラフトエヴィングっぽいの好き」でした。(初期保存タイトル)。